更生保護の歴史
我が国の近代的な更生保護の源流は、1888(明治21)年に設立された「静岡県出獄人保 護会社」に求めることができます。これは、生涯を通じ公益に尽くした実業家として知ら れる金原明善と、静岡監獄の副典獄(副所長)であった川村矯一郎らにより設立されたも のです。ここでは、釈放者の宿泊保護や就職あっせんを行うとともに、県下全域に1,700 人に及ぶ保護委員を配置して釈放者の保護に当たらせるなどしたとされ、これが更生保 護施設と保護司制度の先駆けになったといわれています。その後、政府による積極的な 奨励もあり、民間による同様の釈放者保護団体が全国各地に設けられました。また、保護 の対象も、当初は監獄からの釈放者に限られていましたが、1905(明治38)年には執行猶 予制度が、1922(大正11)年には起訴猶予制度がそれぞれ導入されたことに伴い、執行猶 予者や起訴猶予者へと広がっていきました。
「金原明善」は、実業家として、天竜川の治山・治水などの公共事業家として、また,教育者として、そして、更生保護事業の創始者として、人生を生きた人です。(天保3年(1832年)生、正12年(1923年)没)
静岡県出獄人保護会社(明治23年当時)